「天皇は戦犯主犯の息子」発言に今更ながら想ふ。


今更過ぎますが、平成の終わりだからこそ思う事。


平成の時代も残すところわずか20日ほどとなりました。

今上天皇明仁陛下は、まもなく平成天皇として過去の歴代天皇のおひとりとなられます。

そんな平成の終わりにふと思ったのが、二カ月ほど前の、韓国の文喜相国会議長による、「天皇は戦犯主犯の息子」発言です。

もうすぐ令和の時代に移りますが、新時代の天皇を「戦犯主犯の孫」などと呼ばせる屈辱は避けたいところです。

新しい時代には、新しい風が吹き、新しい日韓関係も築きたいところです。

ド底辺人とはいえ、いち日本国民として、思うことを書いてみたいと思います。

そもそも、韓国人のもつ「戦犯」という概念がズレ過ぎている。


一国の国会議長という重責を負う人間が、何故にこのように乱暴で敬意に欠け、事実とかけ離れた発言をしてしまうのか。

この問題においても、韓国の反日感情においても、根本的な問題があるだろうと思います。

それは、韓国人とその他の世界市民との間に、戦争犯罪という言葉の持つ意味にズレが生じていることではないでしょうか。

もっと正確に言えば、韓国人の願望が戦争犯罪という単語の意味を拡大解釈させ、韓国人独自の新たな概念を生み出してしまっています。

その結果として、意味がズレた言葉を使って、ズレた殴り合いをするという意味不明な事態が発生しているように思います。

戦争犯罪とはなにか。


本来の戦争犯罪という言葉の意味は、戦争行為遂行中に犯した違法行為のことを指します。

戦争という一見無法に見える行為も、国際法に則って行わなければならない。

これを犯し、法によって裁かれれば戦争犯罪と認められます。

例えば、捕虜を虐待したとか、市民に暴行や略奪を行ったとか。

このようなひとつひとつの犯罪行為を指して、戦争犯罪と呼びます。

第二次大戦後の東京裁判においても、公正であったかは別としても、個々の犯した行為に基づいて戦争犯罪として裁かれました。

現在韓国人のもつ戦犯という特殊な概念


対して、韓国人のもつ戦犯という概念です。これがどうも我々と話が噛み合いません。

そして気が付きます。韓国人は戦争で敗北することを戦犯と呼んでいる。敗北した責任を「戦犯」と呼び、敗北した国家を「戦犯国家」と呼び、敗北した国の旗を「戦犯旗」と呼び、敗北した国の当時からある企業を「戦犯企業」と呼び、その国の国民として戦争に携わった人を「戦犯(戦争犯罪者)」と呼んでいると見受けられます。

これは韓国独自の概念であって、我々と戦犯という言葉の意味を共有できていません。

どうも、韓国人には都合の良い拡大解釈をする癖があるように見えます。

日本を貶めたいという願望に基づく拡大解釈…そのような一面もあるのでしょうが、ドイツに対しても同じような認識を持っているようです。

「ドイツは戦犯国。ハーケンクロイツは戦犯旗。」

旗には人格など無く、何も行動を起こしておらず、何の責任もない。

ハーケンクロイツはナチス党の象徴であり、その思想を反映しているからこそ忌み嫌われているのであって、決して戦争責任や犯罪がこの旗にあったわけではありません。

これほどまでに軽々とした拡大解釈の末に、戦争責任や戦争犯罪という実に重い罪の意識を我々に背負えと言うのであれば、拒否反応が起こるのも当然でしょう。

千年後も立場は変わらず、戦犯の息子は謝罪しろというスタンスの上ですから、我々現代日本人の価値観とは相容れません。

そして我々が救われないのは、このような価値観が偏った思想家や活動家のものではなく、大統領や国会議長のものだということです。

戦争犯罪の拡大解釈を止めるべき。


「天皇は戦犯主犯の息子」このような事実に基づかない発言に対して抗議をするのは当然のことですが、これだけでは根本的な解決に至りません。

日本が求めていくべきは、「戦争犯罪の拡大解釈をやめろ」です。

戦争犯罪の意味がズレたままでは、今後も日本人は我慢を続けるか、キレて関係を断つかの二択になってしまうことでしょう。

もしも、二国間の友好関係を築きたいというのであれば、韓国に対して戦争犯罪の拡大解釈はやめろと求めるべきでしょう。

今までの両国の関係は、「日本には過去の責任がある。だから韓国は日本を殴り、日本はそれを耐えねばならない。」そのような一方的なものだったように思います。

むかしのクサい青春ドラマではありませんが、真に友好的な二国間関係を築きたければ、一度思い切り殴り合ってみてはいかがでしょうか。

クサいドラマのように、クサい友情関係が生まれるかもしれませんね。

とはいえ、大いに危惧することもあります。

私は韓国に行ったことがありません。K-POPや韓流ドラマにも興味がありません。

正直、さほど韓国を知りません。

それでも恐らくは私の危惧は当たっているような気がします。

それは、韓国人の民族感情や社会は、敗者に対してとても厳しいのではないか?ということです。

それが戦争犯罪の拡大解釈を生む土壌となり、日本やドイツに対して厳しい目線で未だに責任を問う姿勢をみせる原因となっているのではないか。

そうであれば、日韓が殴り合った後に生まれるのは、クサいドラマのクサい友情などではなく、勝者と敗者の明暗がくっきりとした主従関係なのではないか。

それはもしかしたら、日本という孤島を除く東アジアの価値観なのかも…。

とはいえ、日本も「勝てば官軍、負ければ…」なんて言いますけれども。

敗者(戦犯)は制裁を受けねばならない。戦犯の癖に現代社会で大手を振って歩いているのは許せない。

これ…現代日本の芸能人のスキャンダルなんかに対する反応に似ているような気がしてきた…。

もしかしたら、日本の韓国化が進んでいたりして。(笑えない。)

底辺住男

馬鹿です。低学歴です。 社会の底辺ゆえに、不平不満を漏らすことで傷ついた自尊心を満たします。 腹が減ったら飯を喰らいます。 低知能ゆえに、本能に支配される低俗な動物です。 それでも死ぬまでのあいだは生きているようです。

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