九月に入って一週間。学校に無理して行かなくていいよ報道に想ふ。

無理して学校に行かなくていいよという風潮に想ふ。


自殺するくらいなら、つらいなら、無理して学校に行かなくても大丈夫だよ、というメッセージをマスコミが子供たちに送るようになったのはいつからだろう。そう思っていたら、NHKが番組で教えてくれました。鎌倉の図書館のツイートが火付け役のようです。そういえば何年か前に話題になった覚えがあります。「学校へ行くのがつらくて自殺を考えるくらいなら、図書館へいらっしゃい。」というような内容でしたね。ひとつのツイートが社会の風潮を変えてしまったような感じがします。一昔前なら、学校へ行かなくてもいいなんて言えなかったかもしれません。

人はなぜ追い込まれるのか。


学校へ行けなくなる子供もいれば、勤務先に行けなくなる大人だっているでしょう。人は何故、精神的に追い詰められるのか。人間を追い詰める物の正体は、やはり人間です。人が人を追い詰め、学校や会社に行けなくする。自殺するくらいなら行かなくていいよと言うのも人間なら、行けないような精神状態に追い詰めるのも人間です。そこには、社会全体で理解を共有していかなければならない問題があるように思います。

人は自尊心を満たさなければ精神の健康が保てない。


人間はお腹を満たすことで身体の栄養を摂取します。それと同じように、心を満たすことで精神の栄養を摂取します。きれいな景色に感動したり、楽しい経験をしたりで精神の栄養を摂取できます。これらは、食事に例えるならばサラダのような前菜であると考えます。決して血の滴るようなステーキのような存在ではありません。精神の栄養素として、ステーキのように地となり肉となるタンパク質や、主食でありエネルギーとなる炭水化物に相当するのは「自尊心を満たすこと」であると考えます。人間は自尊心を満たし、また自尊心が傷つかないように、無意識に行動することで精神の健康を保っていると考えます。

自尊心はどのようにして満たすのか。


人間が心身の健康を保ち生きるためには、自尊心を満たしてやらなければなりません。その方法というのが残念なものなのです。自分は誰かより上であると思うこと。誰かよりマシであると思うこと。他者を蔑むことが出来る立場であること。こんなところでしょうか。人の上に立ってリーダーシップを発揮できれば自尊心は満たされます。そんな人物の失敗に乗じて、蔑み叩きのめすことが出来れば、これは食事に例えれば極上の神戸牛のステーキのようなものでしょう。悲しいですが、人間の心の栄養の満たし方は、他人を白い目で見たり、馬鹿にしたり、嘲笑ったりすることで得ているのです。誰かが大きな失敗をした時などは、心の栄養を満たす大チャンスです。それが大企業の社長であったり、有名な芸能人であったりすれば尚更極上の栄養素となります。決して本人に届くことはなくとも、ネットやSNSで批判をし、自己の自尊心を満たします。これは栄養素を欲してお腹がすくのと同様に、人間の本能であると思いますのである程度はやむを得ないことです。ですが、人間はアメーバではありません。高い知性には高い理性が宿ります。高い理性があれば本能をもある程度は抑制できるようになります。犬だって躾をすれば「待て」が出来るようになります。人間として高い知性を持っていても、本能の赴くままにしか行動できない。それでは犬以下ではありませんか。自らの本能をコントロールし、他者を思いやることが出来なければ、高い知性を誇る意味がありません。自分は本能に支配される低能だとアピールしているようなものです。

自尊心はどのようにして守るのか。


人は自尊心を満たすために、他者を蔑み攻撃します。蔑まれる側はうまく防衛ができないと、自尊心が傷ついて精神の健康に影響が及びます。そうならないように、自尊心を護るための防衛本能というものがあります。他者の自尊心を攻撃して自己の自尊心を満たすのが本能ならば、それを防御し自らの自尊心を防衛するのも本能なのです。わかりやすいのは、言い訳、自己の正当化などがこれにあたります。誰かから非難を受けた際に、つい言い訳が喉から出そうになりませんか?これは本能であると考えます。だから自然と口から出そうになるのだと思うのです。言い訳も自己の正当化もさせてあげればいいじゃないですか。日本社会の現在までの風潮は、「言い訳するな。自己の正当化をするな。潔く非を認め反省しろ。」という感じでしょうか。それは他国よりも厳しいように思えます。わたしはそれが日本の自殺数の多さに大いに関係があると考えています。言い訳などを認めないのは一見すると正しいようにも思えますが、精神的にいうならば、ボクシングにおいてガードをするなと命じたうえで袋叩きにするような行為だと思います。言い訳や自己正当化は精神のガードです。この精神のガードが自尊心の崩壊を防ぎ、心身の健康を保つために役立っています。上司から言い訳するなと言われたうえで自己否定をされる、生来潔い性格で真面目で言い訳をしない人間だった、自殺する者の多くはこうであろうと思います。

また、他人を非難するときに言い訳をされると腹が立ちませんか?これはお前は間違っているんだから防御をせずに、自尊心を差し出して食わせろよという本能だと思うのです。そもそも言い訳が悪であるという概念は何処から来たのですか。私が思うには、他人の自尊心を主食とする人間の浅ましい本能から来たのだと思います。本能は潔く死する人間を称賛します。決して自分だけは死にたくなくともです。

自殺という概念が間違っている。


自殺という言葉を今もこうして普通に使っているのですが、個人的には大きな違和感を感じます。何故ならば、自殺者の多くは死を自ら望んだわけではなく、誰かに死に追いやられたのだと感じるからです。一例をあげたいと思います。

日曜日の早朝。若い新婚夫婦が公園でジョギングをしていました。日曜日ですが、頭の中は土曜日の儘である集団がいました。いわゆるヤンキーの集団が夜通し公園でたむろをしていたのです。運悪く、新婚夫婦は彼らに目を付けられます。ご主人は暴行を受け、羽交い絞めにされます。奥さんはご主人の眼前で輪姦されます。ヤンキーたちはそれをご主人に見ることを強要し、新婚夫婦の自由を奪い屈服させることで自分たちの自尊心を満たしました。その後、入院中の病院で奥さんは自殺をしました。

わたしはこの一件を自殺と呼ぶことに抵抗感を禁じ得ません。殺人罪を適用すべきだと思うのです。自尊心を破壊しつくしたうえで死に至らしめる。これは殺人であると思うのです。世の中には自殺のニュースが溢れます。あまりに多いので、背景にいじめなどのショッキングな要素がない場合には、報道もされないことでしょう。ですが、ほとんどの場合において、自尊心を破壊されたうえでの自殺だと思うのです。それを自殺と呼びたくはありません。また、これらを理解した上で他者を追い込んでいる人間が極少数かもしれませんがいるようです。人を自殺に追い込むことが自分の仕事であると思っている人間がこの社会にはいるようです。会社や業界によっては、ある人物が不要であると判断した場合において、わざと精神的に追い込みをかけることがあります。クビにするのではなく、自主的に辞めてもらうためです。その結果、精神疾患者を生み出し、ときには自殺に至らしめます。そのような職務に当たっている人間を一人知っています。嬉々として、まるで天職にでもついたかの如く、人の自尊心を破壊する職務を実行していました。このような人間を求める日本社会の罪深さに思います。自殺するなら学校に行かなくてよいなどと偽善も甚だしいと。日本社会は自殺者を、精神疾患を、引きこもりを求めています。安倍首相は一億総活躍社会と言いますが、現場をご存知ない。経済活動の現場では、不要の労働契約、不要のFC契約などを切るために、精神的に追い詰めて故意にドロップアウトさせるということが行われています。自殺の多くは他殺であり、故意に精神を傷つけることは傷害であるとの認識を共有できない限りは、今後も自殺も引きこもりも減ることなく、一億総活躍社会も机上の空論で終わるでしょう。

電通女子新入社員自殺事件に想ふ。


一年ほど前ですからみなさんの記憶にも新しいと思うんです。電通の女子社員の自殺事件。この事件では、長時間労働が自殺の原因であり、働き方改革によって問題を解決していけるというような報道がなされました。印象操作なのか、それともただの無知さアフォさからきているのか。長時間労働をすると人は自殺をするのか。そんな訳はありません。長時間労働によって引き起こされるのは、心身の疲労による判断力の低下。これだけでしょう。これが自殺をする一つの要因とはなりえますが、主要な原因とはなりえないでしょう。例えばです。

関西で有名なミシュラン星付きのお寿司屋さんがあります。何人もの弟子がいるにもかかわらず、大将は仕込みも買い付けも一切弟子にやらせずに自分でやるそうです。日々の睡眠時間は一時間!毎日二十時間以上労働しているというのです。では大将は長時間労働のせいで自殺をすると思いますか。考えられませんよね。自分で好きに勝手に長時間労働しているのですから。自分で望んだことであろうが、強制されたことであろうが、長時間労働には変わりません。長時間労働が自殺の直接的な原因にはなりえないことはご理解いただけるかと思います。

では何故に電通の女子社員は自殺に至ったのでしょうか。憶測でしかありませんが、言い訳をするなと言われながら非難をされた。それが自己否定に繋がり自尊心が崩壊した。全く根拠のない憶測に過ぎないのですが、それでも長時間労働のせいなんて寝ぼけた結論を導き出すよりはマシです。女子社員の自殺の原因が長時間労働のせいなんて言ってるうちは、自殺者を減らすことも、引きこもりを減らすことも、一億総活躍社会を実現することも叶わないでしょう。

自殺を減らすにはどうすればよいのか。


他人を蔑み自尊心を満たす行為は、本能に基づく非知性的な行為であり、恥ずべきことだという認識を共有すること。自分よりも立場が下の人間を思いやること。言い訳や自己の正当化は敢えてさせてあげること。指導はそれでも出来るはずだと思います。学校へ行かなくていいよなんて言っておきながら、不登校児を非難しないこと。不本意ながら引きこもっていることを理解してあげること。弱さを批判するのではなく受け入れてあげること。

まあ簡単にまとめれば優しくなることですか。それが一番難しいんでしょうけども。

最後に…偉そうに御託を並べるわたしは、心理学者どころかただの中卒底辺人でしかないこと、御託は無責任な愚痴でしかないこと御理解下さい。

 

底辺のくせにトチ狂った御託を並べやがって(怒) てな感じで炎上させてわたしの自尊心を砕き、自殺に追い込むなんて野蛮で道徳的に悖る行為はやめましょうね。そういう行為が道徳の問題ではなく、犯罪行為だと捉えられるようになったときこそ、人類が一皮むける時なのではないでしょうか。

底辺住男

馬鹿です。低学歴です。 社会の底辺ゆえに、不平不満を漏らすことで傷ついた自尊心を満たします。 腹が減ったら飯を喰らいます。 低知能ゆえに、本能に支配される低俗な動物です。 それでも死ぬまでのあいだは生きているようです。

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