大坂なおみとS・ウィリアムズの全米オープン決勝に想ふ。

日本人初優勝の快挙!大坂選手おめでとうございます!

去る九月八日に行われた全米オープン女子の決勝で、大坂なおみ選手が元女王セリーナ・ウィリアムズ選手を破り、日本人としてテニス四大メジャー初優勝を飾るという快挙を成し遂げました。今年に入ってからの躍動ぶりを見ていると、近い将来のメジャー制覇もありそうだと思っていましたが、現実のものになりました。非常に喜ばしいです。

ところで、遠慮がちな日本人の性質をもつわたしなどからすれば、「大坂選手の優勝を日本人として誇っちゃっていいの?」なんて思っちゃいます。(遠慮からきているのであって差別意識ではないと思います。それでも差別とおっしゃる方は多いだろうと思いますが。) ですが、誇って良いのだと思います。彼女は名前の通りの大阪生まれだそうです。四歳までを日本で過ごし、靭公園でテニスの練習をしたらしい。日本語は正直不自由だけど、大阪生まれの日本人であることは間違いないですね。あと顔がおかあさんにそっくりで。肌の色はお父さん似で、顔の作りはおかあさんにそっくりって感じですね。

ところで、ここまで悪意なく、差別意識なく、書いたつもりですが、人によっては差別意識満載の文章に見えるのかもしれません。特に、米国のような国の差別に敏感な人から見ればそうかもしれません。テニスの話題からずれるようですが、全米オープン決勝が残念ながらそういう方向にいってしまったのでやむを得ません。

大坂選手の記念すべきメジャー初優勝は残念な泥試合となってしまった。


全米オープン決勝は、メジャー大会の優勝者を決めるにふさわしくない残念な試合となってしまいました。まずは、セリーナ選手に対するコーチングがあったとのことで警告が出ます。その後、イライラが募りラケットを叩き折り、二度目の警告を受けます。この二度の警告を受け入れられないセリーナ選手は審判に激しくしつこく食い下がります。英語がさっぱりわからない私にも、「LIAR」の単語ははっきり聞き取ることが出来ました。そして激しく詰め寄られた審判はセリーナ選手から第八ゲームを奪います。この非常に厳しい処置に対して、「女性に対する性差別だ。」とセリーナ選手は訴えています。

かくして、全米オープン決勝という晴れ舞台で、泥試合が行われてしまいました。大坂選手の記念すべきメジャー初優勝も、素直に喜びにくいものとなってしまったかもしれません。

この試合の顛末は、ただのテニスのワンゲームではなく、世界中に差別に対する問題提起をするに至ってしまいました。わたしは世界の片隅の、しかし大坂選手の母国である日本人として、社会の底辺人として、この問題について考えてみたいと思います。

日本と世界では審判に対する考え方と選手の権利意識に差がある。


現在、多種多様なスポーツが存在し、それらのスポーツに判定を下す審判がいます。審判の裁量権は各スポーツのルールや慣習によります。そして、審判の個人差が大きく反映されるスポーツも多数存在すると思います。多くのスポーツに於いては、「審判も人間なのだから、個人差や判断に対する多少のブレは受け入れざるを得ない。」という暗黙の了解があると思います。それはスポーツマンシップとも言えるモノではないでしょうか。

ところが、日本人が思うスポーツマン精神と、世界標準といえるそれとは大きな差があるように思えます。

ヴィッセル神戸のルーカス・ポドルスキ選手がインタビューで、「日本人選手はおとなしい。審判に対してもっと激しく主張をするべきだ。」というような発言をしていました。日本人選手に対する外国人選手の印象としては、ごく標準的なものだろうと思います。日本人はおとなしく従順な国民性であることは間違いないと思います。それがアスリートのプレー振りに反映されていることも、我々観戦者の価値観に反映されていることも間違いないと思います。世界の舞台で戦う上ではポドルスキの主張は間違いないと思います。

サッカーの国際試合において、自分たちの主張を激しくしておけば、後々にバランスをとるような判定を審判がするシーンが多々見受けられます。ゴネ得もあれば、ゴネないと損が生じるであろうと想像できる場合もあります。特に日本のように世界的スターがいないチームが、スターを大勢擁するサッカー大国と試合をした際には、スターたちのアピールによって日本に不利な判定をされるケースがあるように思います。

彼らが審判に何を言っているのかはわかりません。ですが、審判にどう聞こえているかは想像することが出来ます。「おまえは間違った判定をした。今度はこっちに有利な判定をしてバランスを取れ。」審判にはこう聞こえるのだと思います。

審判との駆け引きも勝負のうちということなのかもしれません。野球の場合だと、審判に対する選手が主張する権利は大幅に抑えられていますね。今回のセリーナ選手の場合だと、抗議をし始めた段階で退場です。日本人の精神ではそちらの方が受け入れやすいのかもしれません。日本の野球人気の要因の一端は、こんな意外なところにもあるのかもしれません。

セリーナ選手の主張通り性差別的判定だったのか。


テニスの試合としては少々厳しいペナルティーが科されました。イコール性差別というのはあまりにもナンセンスすぎると思います。審判も人間ですからブレはあります。コーチングについて警告を受けた。この時点で興奮を治めるように努めるのが一流のプロテニスプレーヤーだと思っていましたが。

ところで差別とはなんでしょう。個人的には「違いを区別し貶めること。」だと思っています。女性差別ということですから、同じく女性である大坂選手に対しても同様の扱いがされるはずです。それがされていないのは、性を区別したからでなく、プレー中の言動を区別したからだと思います。

プレー中の自らの言動によって発生したペナルティーを、性差別に置き換えて審判を批判し、自らの言動を擁護するような人間に人権活動家ごっこなどやって欲しくはありません。自分の都合で人権問題を発生させ、審判の人格を貶めようとする。日常的に人権問題と向き合っている人間とは思えません。大変失礼ながらも、個人的にファッション活動家のレッテルを貼らせていただきます。

差別がなぜ非難されるのか。それは謂れもないことで貶められるからです。ところでセリーナ選手は審判を随分と貶め、攻撃をしました。あれはメジャー大会決勝の主審を務めるような人物だから我慢してくれたのだと思いますよ。セリーナ選手は差別を受けた、貶められたと主張していますが、実際に人格を貶められる攻撃を受けていたのは審判のほうです。世界中が見ている中で嘘つき呼ばわりされるなど、侮辱をされていたのは審判のほうです。侮辱をされ、人格を攻撃され、貶められた。決して差別ではありませんでしたが、他者の自尊心を傷つけることで自身の自尊心を満たそうとする差別の素になる行為でした。そしてそのアンチスポーツマンシップな言動に対してペナルティーを科した。それを女性差別だなどと主張し、差別問題を自身の擁護のために都合よく利用するなどと、自称人権活動家にあるまじき行為です。

そしてその都合の良い主張に乗せられ、差別だと断じる人々の多さに危険を感じます。どうやら世界は差別問題をファッションと空気で捉えているようです。

ところが米国はセリーナ選手に同情的なようで。


セリーナ選手は人権活動に身を投じてきたという一面があったようで、それもあってかセリーナ選手を擁護する報道が米国では多数派のようです。米国の世論は正しい、米国の人権意識は正しい。そんな訳はありません。各国それぞれ事情があり、意識が違うのは当然のことです。

「米国がセリーナ選手が正しいって言ってるから日本の論調は間違ってる。」いかにも日本人的ですが、日本人は日本人の価値観をもって語れば良いと思うのです。

米国には人権問題に対して過剰にならざるを得ない事情があります。アフリカ系の人種を差別し、奴隷にし、白人と生活を共有することを許さなかった歴史があるからです。それは決して大昔の話ではなく、ほんの数十年前まで行われてきたことだからです。

「日本人は米国人に比べて、人種差別問題で鈍感だ。」当たり前です。日本人が多人種を奴隷にしたり差別をしたり、それを国家レベルで行ったことなどありません。歴史もなく、経験もないものに対して、反省しろ改めろというのはナンセンスです。我々は日本人の感覚で、日本の差別の歴史に則って、差別問題と対峙をすれば良いと思うのです。

世界で共有すべき意識は共有しつつも、各国の歴史と現状にも理解を示すべきです。それがなければ差別をなくす意識が、国家差別、民族差別に繋がってしまいます。

人類はまだまだ未熟に過ぎると感じざるを得ない。


ずいぶんと大袈裟な見出しになっちゃいましたが。

社会が違えば権利意識に差があるのも当然だと思います。例えば、世界は日本に対して、「女性が家庭を守るのは女性差別だ。」なんて言ってきます。どんな愚かな人間が言ってるのかと思えば、国連人権委員会だったりします。

国連人権委員会も、今回のセリーナ選手も共通点があるように思います。自らの正義を信じて疑わない点です。セリーナ選手が性差別を受けたと世界に宣伝して恥じないのは、自己の正義を信じているからです。国連人権委員会も同様です。

日本式に女性が家に入るのは間違っているのでしょうか。女性が家にいることで子育てが上手くいき、男性が安心して外で働け、家庭が上手くいく。そのように女性が考えて実現することを望んでいたとしても、「間違っているから駄目ですよ。」それこそ文化の違い、社会の違いを受け入れられず、区別した上で貶める行為ではないでしょうか。つまり、世界中に自分たち以外の価値を認めないという国連人権委員会の姿勢こそが差別的なのではないでしょうか。

自分たちは正しい。彼らは自分たちとは違う言動をしている。間違っているから正さなければならない。それこそが差別の源になってはいませんか。

洋の東西の違いも、宗教も、文化風習も、歴史や伝統も、言語も、肌の色も、あらゆる違いを認める。多様性を認める。それが違いを区別し貶める差別をなくすことに繋がると考えます。国連人権委員会が日本に言ってくることは逆の行為に思えるのは私だけでしょうか。

そして、全米オープン決勝での性差別よりも、本当に差別的な問題だと思うのはわたしだけでしょうか。

 

日本人の特徴として、自分たちが絡むと鈍感になるというところがあると思います。韓国人は「トンスル」というウ〇コで作った酒を飲む。これ差別意識からきていると思いませんか。中国人、韓国人は犬を食べる。けしからん。これも差別意識からきていると思いませんか。

日本人は鯨をとる。そして食べる。けしからん。これも根本にあるのは差別意識だと思いませんか。人権活動や動物愛護、自然保護などの活動は極端になっちゃうと差別や暴力と紙一重だと思います。自分が正しいと思うこと、正義を求めることは、争いのもとになったり、他人を攻撃する免罪符になったりします。嘆かわしいですね。

こちらもどうぞ。

 

底辺住男

馬鹿です。低学歴です。 社会の底辺ゆえに、不平不満を漏らすことで傷ついた自尊心を満たします。 腹が減ったら飯を喰らいます。 低知能ゆえに、本能に支配される低俗な動物です。 それでも死ぬまでのあいだは生きているようです。

あわせて読みたい

1件の返信

  1. 2018年9月13日

    […] うことを書いた全米オープン女子決勝の問題は、未だに収拾の気配がありません。こちら。 […]

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です

日本語が含まれない投稿は無視されますのでご注意ください。(スパム対策)