東京医科大学による入試不正問題に想ふ。

差別とはなにか。

差別とは、違いを区別をしたうえで貶め蔑むことだと考えます。肌の色を例にして考えてみます。

「あなたの肌は黄色い。素晴らしい、きれいだ。」

区別をしたうえで、もて囃しています。これは差別とは言えないと私は考えます。ところが、この場合でも差別に当たると考える人もいるように思います。

「あなたの肌は黄色い。ひどい。汚い。」

これは差別ですよね。違いを区別したうえで、蔑んでいます。

今度は入院患者を例にして考えてみます。男性に入院患者と女性の入院患者で食事の量と内容が違ったとします。男性の方が量とカロリーが多かったとします。この場合も差別だと考える人も一部にはいるのではないでしょうか。ですがこの場合は、男女の違いを区別したうえで適切に対処をしているだけだと受け取れます。男女で体に違いがあるのは事実であり、それを認識したうえで入院患者のカロリーコントロールをすることが差別だとは到底思えません。男女の体の違いという現実を認識し、適切に対処した結果であると私は考えます。

ですが、違いを区別しただけで「差別だ」という、言うなれば「均等均質原理主義者」とでも呼ぶべき人々が存在するようです。ひとことで言えば、彼らは理想主義者であり、現実を認識することにかけては少々苦手としているようです。

人間社会において、現実を認識し、バランスよく社会の舵を取ることは有益なことだと考えます。

今回の件は日本社会全体の問題だ。

今回、入試差別が行われたというのは、医科大学であり医師の卵の選別を行ったということになるかと思います。一般の大学で入試差別を行ったのとは意味が全く違ってきます。何故ならば、卒業後に就く職業が決まっているからです。入試差別を行ったのか。それとも、医師という職種に就くべき人間を選別したのか。後者であれば、我々日本人全体の問題です。私や皆さん方が大病を患ったとき、助けてくれるのはお医者さん以外にあり得ませんから。お医者さんに掛からずに一生を全うするなんて、ほぼほぼあり得ませんから。そして後者であった場合、問題となってくるのは医師としての働き方。日本人として生活をしていく上での仕事とのバランスの問題だと思いますから。

私が医療に対して求めること。

体調が悪い時にいつでも見てもらえること。何らかの発作が起こっても、119番に電話をすれば病院で診てもらえること。安心して任せられるスキルと設備があること。

本当の話かどうかはわかりませんが、ネット上にて近年の韓国では医師になる若者の7割が女性であるという噂を目にしました。

例えばの話です。日本の医師の7割が女性だったとします。そして、その女性たちに結婚、妊娠、子育てで医療現場を離れる時期があったとします。そのために、日本の医療現場が慢性的に人手不足に陥ったとします。私や私の家族や親しい人たちが満足な医療を受けられない時代が来たとします。そのようなことが現実に起こったとすれば、

レイシストの謗りを受けようとも、女性医師を減少させるように叫ばせていただきます。均質均等であれば結果や内容は問わないという理想主義には付き合いきれません。

あくまでも例え話にすぎないのですが、もしも本当に女性医師が7割という時代がくるのであれば、まず対処すべきことがあります。医師不足という問題が起きないための余裕のある勤務体制。その勤務体制を構築したうえでの育児休暇も含む、社会保障制度。これは、医療現場だけではなく、まさに日本の働き方改革であり、日本全体が抱え、解決すべき問題だと考えます。

今回の件は医療にかかわる問題であり、命にかかわる問題です。どのような動機で入試差別が行われたのかよくわかりませんが、もしもそれが医療現場を守り、市民の命を守るための選択だったとするならば、私は例えレイシストと罵られようとも、その選択を支持します。その場合、本当に問題があるのは、そのような選択をした学校側ではなく、そうせざるを得ない社会のシステムの側に問題があるのだろうと考えます。

とはいえ、すべては例え話であり、わたしの脳内妄想でしかありません。あしからず。

底辺住男

馬鹿です。低学歴です。 社会の底辺ゆえに、不平不満を漏らすことで傷ついた自尊心を満たします。 腹が減ったら飯を喰らいます。 低知能ゆえに、本能に支配される低俗な動物です。 それでも死ぬまでのあいだは生きているようです。

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